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大阪都構想

先日、大阪都構想の賛否を問う住民投票が行われ、大阪市民ではない我々も注目していました。5年前に行われていた時は、大阪のお隣・京都に住んでいたのもあり、その当時の番組は大阪都構想の特集だらけでした。

正直、大阪都構想のメリット・デメリットはよく分かっていません。というか、大阪都構想にそこまで興味を持てなかったのは住んでいなかったからなのかしら。でも父家族や親戚は大阪市内に住んでいるので、「今後大阪はどうなっていくのか」というのは、とても関心があったのは確かです。

結果、5年前同様「否決」ということになりましたが、今回ふと自分が夢を持っていた時のことを思い出したので色々書いていこうと思いました。

愛媛を出たい

大阪出身の父と宮城出身の母の家庭で、愛媛で18歳まで生まれ育った私。

昔、愛媛でこんなCMが流れていました。
「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい」

これは2000年に「21世紀に残したいことば」を募集する「だから、ことば大募集」が開催された時に、松山市長賞に選ばれた作品だそうです。この言葉を使ったCMが当時流れていて、私は中学か高校だったのかしら。愛媛で流れていたのもあり、この言葉には「愛媛で」「松山で」の場所も入っていたと思います。

このCMのこの言葉が流れるたびに、
「絶対イヤ」
と口に出して答えていました。

私が愛媛を出たいと思ったのはいつだったのだろう。
愛媛が嫌いかと言われたらそうではないんだけども、幼い頃から大阪の都会的な感じも知っていたし、小学校の時は英語教室にも通わせてもらって外国に触れたり、母の車では洋楽がかかってたりしたのもあるからか、広い世界を見てみたいというのがあったと思います。父も母も私が愛媛から出ることを反対しなかったし、高校を卒業したら絶対に愛媛、四国を出ると決めていました。正直、場所はどこでも良かったと思います。

大学受験の際は、東京・大阪・京都・なぜか徳島の大学を受けて、受かった大学は京都の大学2校と徳島の大学。迷わず京都の大学に決めて、意気揚々と愛媛を出ました。

京都も大都会というわけではないですが、一人暮らしという自由な生活も手に入り、京都での大学生活はかなり満喫させてもらったと思います。

東京を目指していた

大学3回生の秋、意欲のある同回生の友人が既に就職活動を始めていた頃、私は特に情報収集もせず大学生活を満喫していました。

ただ、漠然とした夢はあって、「東京でバリバリ働いて、社長になる」と、恥ずかしながらそれを公言していました。

4回生になって目をつけた企業は、IT関係。文系の私でしたが、むしろ文系大歓迎のIT企業は多かったように思います。書類・面接と順調に進み、最終面接でも感触の良かった東京本社で3000人規模の企業に就職することができました。

卒業するまでの半年間、「私は東京に行くんだ」と意気込んでいたのにも関わらず、卒業する頃には「やっぱり関西にいたい」と思うようになります。その理由は、オトコです。20以上歳の離れた彼に夢中になり、いつしか「東京でバリバリ働いて、社長になる」夢はどっかに行ってしまっていました。

まずは神奈川にあった研修施設での2ヶ月の研修を受けたのですが、同期との共同生活を楽しみながら、毎週末に京都に戻ってくるという生活。新入社員で毎週新幹線で京都に戻るって、今考えたら経済的にできるわけないのに、会社経営をしていた彼に甘えて贅沢な週末を過ごしていました。

研修期間が終わった時の式で、配属先が読み上げられるまで心臓はバクバク。大阪に決まった時、ホッと胸をなで下ろしたのを今でも覚えています。その彼と付き合った5年以上の間、職を転々としながら彼に甘え、すっかり自分の夢や目標はなくなり、毎日を楽しく過ごすことがその時の私でした。

その彼と付き合っていた間はお金の心配はいらなかったこともあり、ただのほほんと仕事しているだけの毎日でしたが、別れてからは「自分でなんとかしなければいけない」という気持ちから、さらに転職。そして、そこで仕事相手であった多くの社長さんと接することにより、私の夢であった「東京でバリバリ働いて、社長になる」というのを思い出すことになります。

しかし、そこで「東京に行く」という考えは無くなっていました。目の前に、京都で成功している人がたくさんいるんですもの。また「バリバリ働く」という考えも同時に薄れていました。働くことが嫌なんではなく、「バリバリ」じゃなくて「それなりに」という感じに。

そして私は29歳の時に小さなサロンを立ち上げ、5年間経営。最後の2年間は2店舗を経営することになり、それなりに結果を残したつもりです。そして、本望ではなかったもののこの仕事をやり切って、この時もオトコ(=ハズバン)を選び彼と愛媛へ移住(私は愛媛に戻る)することになりました。

ちなみに今、この選択をして良かったと思っています。幸せですから。

大阪は何を目指していたか?

さて、大阪都構想の住民投票で盛り上がっている時、Twitterで色んな人の意見を見ていました。

大阪都構想って、東京と23区のような関係にしようとしているんだとやっと分かりました。(何もわかっていない地方の人間の言うことです、ご容赦ください。)大阪都構想を「東京の都区制度をバージョンアップ」するてことは、東京のような大都市に大阪を変えようとしていたのか。結果「否決」されたと言うことは、大阪は東京のような大都市にはなれないことに。

地方から見たら大阪って本当に大都会だし、京都から大阪まで電車で40分だけの距離なのにビルの高さに圧倒される。大阪市内の父の家に行く時は、途中の梅田駅で乗り換えしてたんだけど、人混みの中をかき分けて行くのは憂鬱でした。

それでも大阪は東京から見たら、地方となるんですね。東京からしたら、東京以外地方なんだろうけど。

関西に行って関西で生まれ育った人と関わると、地元への誇りが強いのが分かります。地元が大好きで、この街はこんな素晴らしい、ここを出たくない、との声をよく聞きます。愛媛で生まれ育って愛媛を出ることを目指してた私からしたら、そんなとこで生まれ育ったなんて羨ましいったら。だから私は、京都を地元のように愛して誇って、時には京都人のように振る舞っていましたよ。京都人にはなれなかったけれど。

話がそれましたが、結局大阪が出した答えは「東京のようにならなくていい」と言うもの。地元を愛す大阪の人は、大阪が変わることは望んでいなかった。

生涯愛媛で人生を終えるのはイヤだと思っていたかつての私のように、地元に居続けるのはもうイヤだと思う志の高い人は「やっぱり日本の中心地、東京へ!」と行くことになるのでしょう。

そして東京で物足りないと思った人は、日本を飛び出て海外へ行くのでしょうね。

夢の持ち方

私は今仕事をしていませんので、成功を掴み取ったかと言うとそうでもなく。ただ、確実に「幸せ」を今この手に握りしめています。

私の場合、高校と大学時代に持っていた夢は「場所」が重要でした。
でも成功や幸せを掴み取るのは、場所だけではない。仕事に関して言うと、インターネットが普及していて職業の幅も広がっている今、場所なんて関係なくなってきました。また、私がオトコを選んだことがあったように、幸せになるのに場所は関係ありません。ハズバンを選んだから、ハズバンが選んでくれた愛媛に(最終的に戻って)来ました。愛媛に戻ることを散々嫌がりましたが。笑

今後、夢は常に持ち続けますが、当分「場所」は重要ではないでしょう。愛媛にいますから。ただ、その時の状況や人間関係によって変わっていく可能性はあります。その時はもしかしたら、また愛媛を出るかもしれません。

今回の大阪都構想の話題で、30数年の自分の人生を振り返り、夢の持ち方を改めて考えさせられました。新たな夢は、心の中に秘めておこうと思います。

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